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47歳のスーパーウーマン、ステイシー・エイブラムスは現代のキング牧師だ!【ダイバーシティ時代のクリエイティブ論考】 - VOGUE JAPAN

アメリカは今、ジョージアが熱い。

2020年大統領選で、92年以来、同州で初めて民主党候補者が勝利したのだ。とはいえ、勝者のバイデンと敗者のトランプの得票差は実に12,670票。得票率にしてわずか0.25%差の辛勝だった。

この民主党の躍進の立役者として、全米から注目を集めているのが、47歳の黒人女性のステイシー・エイブラムス。政治家、弁護士、起業家、活動家、作家、と多様な顔を持つ多才で情熱的な人物だ。

彼女は、ジョージア州アトランタにあるHBCU(Historically black colleges and universities:歴史的黒人大学)の女子大であるスペルマン・カレッジを1995年に卒業し、その後、テキサス大学オースティン校のLBJ School of Public AffairsでMPA(公共経営学修士)を修め、イェール・ロースクールでJD(法学博士)を取得した。2007年から2017年までジョージア州議会の下院議員に選出され、その間、2011年から2017年まで、州議会下院民主党のまとめ役(Minority Leader)を務めた。セレーナ・モンゴメリ(Selena Montgomery)名で8 冊の⼩説を世に送り出した作家でもあり、来年(2021 年)5 ⽉には9 冊⽬となるスリラー“While Justice Sleeps”の刊⾏が予定されている。

だが、彼女の名を全米に知らしめたのは、2018年のジョージア州知事選に、民主党から黒人女性初の候補者として選挙戦に臨んだ時だ。結果は54,000票差での惜敗だった。だが、この「惜敗」は、ジョージア州で根深く続くVoter Suppression(投票者抑圧)の歴史によるものだった、というのがエイブラムスの理解である。この時の悔しさが、2020年の逆転劇に向けて、彼女だけでなく支持者を含めて燃え上がらせた。

黒人に植え付けられたニヒリズム。

2018年のジョージア州知事選挙に出馬したステイシー・エイブラムスの若き支持者たち。この選挙でエイブラムスは、アフリカ系アメリカ人女性としてアメリカ史上初の州知事候補となったが、共和党候補のブライアン・ケンプに惜敗を喫した。Photo: Melina Mara/The Washington Post via Getty Images

このあたりの事情を知るには、映画“All In: The fight for democracy(邦題『すべてをかけて:民主主義を守る戦い』)”を見るのが手っ取り早い。

ただ、邦題は副題を含めてちょっとニュアンスがずれている。民主主義を「守る」戦いなどではない。そんな甘っちょろいものではないのだ。

エイブラムスたち黒人有権者にとっては、彼らを投票から遠ざける謀略によって、アメリカには「デモクラシー」はいまだ存在しない。つまり、「デモクラシーのための戦い(The fight for democracy)」とは「デモクラシーを求める/達成させる戦い」である。「守る」のではなく、これから「勝ち取る」のだ。

原題の“All In”にしても文字通り「全てを中に入れる」、つまり、「全ての有権者に対して無条件に投票をさせてデモクラシーに参加させる」ということ。要するに「インクルーシブ」のことである。その条件が満たされない限り、デモクラシーなど存在しない。なぜなら、非白人の有色人種は安心して投票することすらできないからだ。

少し考えてみればいい。投票に行っただけでその黒人が、白人の手により報復や見せしめのために殺されてしまう世界を。エイブラムスたちの戦いは、Voter Suppressionと呼ばれる、深南部白人男性たちによる謀略との戦いなのだ。その苛烈さを理解しないといけない。

ストリーミングによってアメリカでの公開と、ほぼ同じタイミングで、同じ作品を見ることができる時代になっただけに、こうしたニュアンスのズレは見過ごせない。むしろ、日本で「インクルーシブ」や「ダイバーシティ」といった言葉が、今ひとつ理解されていないことの徴候の一つにすら思える。ダイバーシティといっても、生物多様性のような客観的事実のことをいっているわけではない。そもそも「社会の中に多様性などない、そのような視点など必要ない」と思っている人たちに対して目を覚まさせるものだからだ。

これが、今回、エイブラムスや投票権法の話を取り上げている理由である。この話もまた、Black Lives Matterとは別の意味で、アメリカで「インクルーシブ」や「ダイバーシティ」が語られる際に忘れてはいけない背景事情の一つとなっているからだ。そして彼らの情熱は、BLM同様、音楽やアートなど多くの創作活動を触発し続けている。

2019年11月、アメリカの記者クラブでのイベントにエイブラムスが登壇した際、事前のランチョンで配られた写真入りクッキー。Photo: Cheriss May/NurPhoto via Getty Images

ステイシー・エイブラムスは、このようなVoter Suppressionの横行する深南部ジョージアで選挙戦を戦わなければならなかった(詳しくは後述するが、その転換点は2013年のシェルビー判決であった)。

そのための出発点としてまず考慮に入れるべきは、多くの黒人、特に黒人女性が、投票所に行くと様々な嫌がらせを受け続けた結果、「投票なんかしたくない」とネガティブな観念を持ち続け、自発的に投票を避けるようになっていた歴史のことである。

それがジョージアでは、一種の政治文化にまでなっていた。この黒人心理に植え付けられた恐怖感や忌避感、無力感、つまりはニヒリズムを払拭することが、エイブラムスの取り組んできたことだ。その上で、黒人のみならず、ヒスパニックやアジア系を含む有色人種(people of color)の投票率を上げることを目標にした。さらに、若者、あるいは、穏健派(モデレート)から進歩派(プログレッシブ)までの白人を加えることで強固な連合(coalition)をつくることを目指した。

ボーター・サープレッションへの抵抗。

2018年の州知事選にて。ステイシー・エイブラムスのTシャツを身に着けたサポーターの女の子。Photo: Melina Mara/The Washington Post via Getty Images

ところで、エイブラムスは、常々、ドリーム(夢)ではなくアンビション(大望)を抱けと主張している。ドリームとはもっぱら楽しいことを意味しており、楽しいがゆえに「夢想」で終わってしまうが、一方、アンビションは、リーダーシップのための基盤となるからだ。アンビションは、具体的な一手という実践を見据えたリアリズムの上に成り立っている。そこから彼女は「ハッキング」の思考を勧める。

建国以来、白人男性が築き上げてきたがゆえに無意識のうちに白人男性優位に出来上がっているアメリカの政治システムで勝利を得ようと思うのなら、コンピュータシステムをハッキングして出し抜くように、既存の政治システムを一つの権力システムのアーキテクチャとみなし、そのシステムをハッキングしていく必要がある。なぜなら、少なくとも南部の政治システムは、もともと黒人たちが政治参加によって内部に侵入してくるようにはできていないからだ。

リンカーンによる奴隷解放宣言を経て、南北戦争で負けた南部は、勝った北部の指導で、黒人をアメリカ市民として取り扱う世界へと変わったはずだった。しかし、当の南部の権力者たちからすれば、そうした変革は、敗戦国が戦勝国の意向に沿うようにしぶしぶ導入したものでしかなかった。つまりは面従腹背であり、少しでも北部の監督が緩めば、時計の針を戻そうとする社会的力学が働いた。結果が、ジム・クロウ法と呼ばれる白人と黒人の棲み分け=差別を行うシステムの導入であり、同時に、そうしたシステムを維持するために、黒人の政治参加、すなわち投票行動を阻害しようとする手立て、すなわちVoter Suppressionの仕組みが、陰に陽に配備されていった。

1965年8月、投票権法に署名するジョンソン大統領(当時)とマーティン・ルーサー・キング・ジュニア。Photo: Washington Bureau/Getty Images

よく知られるように、このジム・クロウ法体制を覆そうとしたものが1950年代後半から60年代にかけて起こった公民権運動だった。この運動の成果の一つである1965年投票権法は、南部社会に張り巡らされたVoter Suppressionを無効化するものだった。これによって、ジョージアを含む南部の州は、投票に関わる州法を制定する際、連邦政府の許可を得なければならなくなった。

これは公民権運動を推進した人たちからすれば大勝利だった。だが、南部白人社会から見れば、南北戦争の敗退に続く「第二の敗戦」だった。そこから、南部白人社会の抵抗劇が始まる。

そうした反・投票権法の歴史の詳細については、アリ・バーマンの『投票権をわれらに』が参考になる。ここではそうした南部白人社会の抵抗運動が2013年に実を結んだことを記すに留める。この年、連邦最高裁によって出されたシェルビー判決によって、1965年投票権法は、事実上、骨抜きにされた。ジョージアの隣のアラバマ州シェルビー郡で行われた1965年投票権法を無視した行政行為に対して、シェルビー郡と連邦司法省との間で争われたものだ。結果は、司法省の敗訴だった。

シェルビー判決以前には、ヴァージニア、サウスカロライナ、ジョージア、アラバマ、ミシシッピ、ルイジアナ、テキサス、アリゾナ、アラスカの9つの州が、連邦政府の監督なしには、選挙に関わる法律を制定することができなくなっていた。

だが、シェルビー判決が出された直後から、テキサスを皮切りに、Voter Suppressionを復活させる州法が、連邦政府の監督から解放された深南部の州で、続々と導入されていった。

さらに、その波に乗って、連邦の監督対象ではなかった州でも、たとえばウィスコンシンなど共和党が州議会の多数派を占める州でVoter Suppressionを進める州法が可決されていった。黒人だけでなく広く非白人のマイノリティの投票権の行使を抑圧する法律が導入され始めている。先ほど紹介した“All In”という映画は、まさにこのシェルビー判決以後のアメリカ社会、とりわけ南部社会における、有色人種の政治参加を損う動きに対する抵抗の様子を描いていた。

アンビションとハッキング。

シェルビー判決から1年後の2014年6月25日、ワシントンD.C.のキャピトル・ヒルでデモを行う1965年投票権法の支持者たち。Photo: Win McNamee/Getty Images

簡単に言えば、2013年を境に、アメリカ社会は再び公民権運動以前の時代に戻ってしまった。同じ年にBLM運動が起こったことを考えれば、2013年はアメリカ史の転換点であった。その時から、「ダイバーシティ」や「インクルーシブ」と言った言葉は、それ以前に見られた多様性のある社会を寿ぐ言葉から、抵抗のための合言葉となったのだ。

以前、オバマ元大統領は、1965年投票権法があったから自分は大統領に選出されることができた、と語ったことがあるが、シェルビー判決以後の世界では不可能だったかもしれない。ステイシー・エイブラムス自身、シェルビー判決がなければ、2018年の州知事戦に負けることはなかったと分析している。

その点では、2016年大統領選でヒラリー・クリントンが負けることもなかったのかもしれない。ヒラリーは、オバマのときほど黒人票が得られなかったため、接戦州で敗北した。それはもっぱら彼女がオバマほどには人気がなかったから、と説明されていたわけだが、それがVoter Suppressionの結果であった可能性も否定できない。

というのも、現代のVoter Suppressionは、具体的には、恣意的な投票所の統廃合によって黒人有権者が車なしには投票所に行けなくなったり、あるいは、投票用の機械の設置台数が恣意的に減らされ、実際に投票を行うのに以前よりも長時間、行列をつくり続けなければならなくなったり、といった巧妙なものになってきたからだ。まさに「ナッジの時代」らしい、やんわりとご退場願うような「嫌がらせ」的な方法が幅を利かせ始めている。

ジョージア州でジョージ・バイデンの当選が確実になった今年11月7日、民主党支持者たちが"Thank you, Stacy"のプラカードを掲げてエイブラムスの貢献を称えた。Photo: Elijah Nouvelage/Getty Images

このほかに、犯罪歴のある人には投票権を認めないなどのような以前からの制約もある。あるいは、投票当日、写真付きのVoter IDを提示しないと投票できない場合もある。もちろん、Voter ID提示の義務は不正の防止のためなのだが、Voter IDの取得に少なからず障害があり、すべての人が所有できているわけではない。Voter ID以外の公式なID──例えば免許証や学生証など──を持っている場合でも受け付けられないことがある。要するに、ID発行の判断の時点で、すでに既存の政治システムの中で中心にいるか周辺にいるかといった「インクルーシブの程度の違い」が露呈してしまっている。一見公平そうに見えても、その実、差別をもたらす政策と化している。

こうした実態は、日本のように、住民票を届けた市町村の役所から自動的に投票案内が郵送される仕組みが確立されている国にいると、想像しにくい。日本の有権者がすることは、投票日当日、投票所に出向き、郵送された案内を提示することで本人であることを確認してもらい代わりに投票用紙を受け取り、その場で投票するだけだからだ。だが、それではステイシー・エイブラムスたちが抱えるような、現代のアメリカにおける「ダイバーシティ」や「インクルーシブ」の切実さは、なかなか想像できないことになる。

エイブラムスたちの目からすれば、既存の選挙システムは、彼女たち黒人、より広くは有色人種(people of color)全般を無条件に歓迎するシステムとは決していえない。むしろ、空きあらば有色人種を排除しようとするメカニズムがほぼ自動的に働くシステムだ。残念ながら、ジョージアを含む深南部はジム・クロウ法時代の白人優位社会であった頃の無意識を消し去ったわけではない。むしろ、政治の現場に近づけば近づくほど、その伝統が頭をもたげてくる。だから、エイブラムスにとってハッキングが大事なのだ。既存のアーキテクチャに従いながら、それを覆えすポイントを探し、そこから攻め入らなければならない。そうした実践の導き手になる想いがアンビションというわけだ。

第二の公民権運動のゆくえ。

2021年1月5日の連邦議会上院議員2名の決選投票に先駆け、今年12月7日にジョージア州リルバーンで開催された集会で配られたステイシー・エイブラムスのピンバッヂ。Photo: Spencer Platt/Getty Images

ともあれ、そうしたエイブラムたちの努力が実って、今年の大統領選では1992年以来初めて、民主党の候補であるバイデンに勝利をもたらすことができた。だが今、ジョージアが熱いのはそれだけでなく、11月の選挙では決着のつかなかった連邦議会上院議員2名のランオフ(決選投票)が年明けの1月5日に控えているためだ。バイデンの勝利が決定した後だけに、この2つの選挙は、大統領選以上に注目を集め始めている。

というのも、ここで民主党が上院を2議席増やせば、共和党との間で50議席対50議席のイーブンになるからだ。上院の議決ではもしも50対50の結果が出た場合は、議長を務める副大統領が、すなわち民主党のカマラ・ハリス副大統領が、1票を投じることができる。つまり、事実上、民主党は多数派に返り咲くことになり、バイデン政権の進める政策が議会を通過する可能性は格段に高まる。そのため、このジョージアのランオフの結果は、来年1月に誕生するバイデン政権にとって極めてクリティカルなものになる。どれだけバイデン大統領がリベラルな政策、すなわち「ダイバーシティ」を配慮し「インクルーシブ」を実現するための政策を提案しようとも、議会の支持が得られなければ絵に描いた餅になってしまうからだ。

ステイシー・エイブラムスのジョージアは、シェルビー判決以後の南部における、いわば第2の公民権運動の震源地なのだ。BLM同様、この先の動きから目を離せない。

Text: Junichi Ikeda Editor: Maya Nago

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December 11, 2020 at 05:00PM
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