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【聞きたい。】中濱武彦さんが語る『ジョン万次郎の羅針盤』 現代の道標となる歩み - 産経ニュース

ジョン万次郎に関する記事が掲載された1918年の米紙を手に、「ジョン万次郎の羅針盤」の出版を語る中濱武彦さん(蔭山美撮影)
ジョン万次郎に関する記事が掲載された1918年の米紙を手に、「ジョン万次郎の羅針盤」の出版を語る中濱武彦さん(蔭山美撮影)
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 幕末の時代、漁で遭難して米国船に救われ、米国に渡って貴重な見聞を日本に持ち帰った「ジョン万次郎」こと中濱万次郎。その生涯を集大成するのに、調査内容には往々にして間違いがあり、一家に伝承される事実に重きをおいた。

 万次郎のひ孫で、戦争中の5歳当時、「スパイの子」といわれた。「理由を祖母に尋ね、父が話をしてくれた。初めて聞く冒険物語が胸に響きました」。米国留学していた叔父が詳しいと知り、伝承を集める。

 米国に結婚相手がいたという話。「万次郎を救った船長の手紙に『おばさんは結婚した』とある。船長夫人の姉妹と聞いたが、結婚を勧められていたようだ。万次郎の長男は後に米国でキャサリンと名乗る婦人から万次郎が書いたという詩を渡された。その婦人の母親のことだったのか」。その話になると、万次郎を書きたいと思っていた作家の早乙女貢さんが「要はアメリカでのオンナの匂いがしない」と言っていたのを思いだす。

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 万次郎は帰国後、多くの志士と交わった。咸臨丸に乗船する前のこと、故郷の土佐藩で万次郎の聞き書きを命じられた絵師の河田小龍は当初、その話をまゆつばと思い、坂本龍馬ら塾生との接触を禁じた。「留守中に万次郎が塾生に米国体験を語ったと知って河田が怒った」と伝え聞く。

 「今回の米大統領選は万次郎が伝えた民主主義とは大きく異なっているでしょう。万次郎は因習に縛られなかった。誰もが自由にして平等であり、努力と能力によって社会的な評価が定まる、建国理念に躍動していた米国の民主主義に魅力を感じていたのです」

 創意工夫で苦難を乗り越え、世界に学び、日本に生かす。あまり表舞台に立つことがなかったのも、ひたむきな姿勢を貫いたためだった。「万次郎の歩みを支えた羅針盤は信義、信頼が問われる現代人の道標といえるでしょう」(冨山房インターナショナル・2800円+税)

 蔭山実

【プロフィル】中濱武彦

 なかはま・たけひこ 昭和15年、兵庫県生まれ。自らは米国留学を断念し、東京ガスに就職。退職後、万次郎の生涯を中心に執筆活動に入る。日本ペンクラブ会員、鎌倉ペンクラブ会員、日本海事史学会員。

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November 29, 2020 at 07:52AM
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