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平清盛の遷都 成功していれば、現代の神戸にも影響?(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース

 平清盛が「福原京」を置いた神戸市兵庫区の平野の地。郷土史家の吉田昭彦さん(86)が注目するのは、「山」と「川」。この地が選ばれた理由には、天然のとりでを形作る丘陵だけでなく、石井川にもヒントが隠されているという。(伊田雄馬)

 石井川は天王谷川と合流し、新湊川となる。合流地点の菊水橋(同市兵庫区東山町1)から山側を望むと、西側の石井川の方が川幅が広い。

 吉田さんは言う。「古来、この川が運んできた大量の土砂が、兵庫区の土地を形成してきたのです」

 新湊川は流域面積約30平方キロメートルと、表六甲の河川で最大。石井川は、鈴蘭台(同市北区)から流れ出た烏原川と合流する支川だ。水量が安定しており、水を確保するのに有利だったことも、ここに拠点を構えた一因だと吉田さんはにらむ。

 橋の上から振り返ると、なだらかに扇状地が広がる。ふと見ると、浜手へ下る道路が段々になっているのに気付く。「平野は北側を諏訪山断層、南側を会下山断層が横切っている」と吉田さん。断層の活動で大倉山や会下山は盛り上がり、断層の間がくぼんで盆地になったのだ。

 清盛もここから海を見下ろし、世界を見つめたのだろうか。

 「高瀬舟で旧湊川を南下し、大輪田泊へ出向いた」。吉田さんの思い描く清盛の姿から、壮大な港湾都市の夢が、リアルに感じられ始めた。

 だが、それはつかの間の夢に終わる。遷都の決定からまもなく、源頼朝の挙兵に始まり、反乱が各地で相次ぐ。鎮圧と遷都のはざまで京都へ都を戻した翌年、64歳の清盛は高熱を発し、急逝した。

 平氏政権を確立し、福原行幸を果たしたとはいえ、遷都には貴族や寺院勢力だけでなく、平家一門の中にも反対意見がくすぶっていたとされる。「私には清盛が余命を悟った上で、時代を変革しようとしたように感じられる」と吉田さんは話す。

 新都をミナトに建設し、世界につながる海洋国家を目指した清盛。遷都の試みが成功していれば、現代の神戸にも影響を与えていただろうか。平野は、うたかたの栄華物語にとどまらない、歴史のロマンを秘めている。

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April 06, 2020 at 08:30AM
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